雨〜始まりと終わり〜

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  第五話 露となる刹那まで見続ける 2  

「この地を古より護る森神よ、どうか、どうかこの娘をお助けくださいっ!!」
「どうぞこの娘の命を、お救いください。この娘はまだ生きていてもいいはずです。私の命と引き換えでもかまいません。どうか、お救いください!!」
 降りしきる雨の中雨音で声が掻き消されようとしても口を閉ざそうとは思わなかった。キストもティエイラも思いは同じで、それほどまでに大切な命をなくすわけにはいかなかった。ユウリの命は風前の灯で、もう消えそうなほどであったゆえに。その上、この雨の中、その命の蝋燭の速度は速まりつつあった。
 森に声は谺すれども、何の変化も起こらない。
 ティエイラに抱かれるユウリの鼓動は徐々に聞こえなくなってゆき、止まった。
「・・・・・・あ、? ユ、ウリ?」
 ティエイラの手がユウリの頬を撫ぜ、滑る。その体温は次第にけれども確実に、冷たくなっていた。ティエイラはユウリを掻き抱き、慟哭した。
「い、いやああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
 どうして、どうして、どうして。助けて、助けてよ。
 これからたくさんの愛情を注いで育ててゆくつもりだったのに。どうして? どうして誰も助けてはくれないの? 何を引き換えにしてもいいのに。
――・・・・・・。
 キストがティエイラを抱き寄せ、強い声でそれこそ雨さえ弾き飛ばすほどの激情を持って言った。
「ティエイラッ!!!」
 びくり、とティエイラの肩が震える。焦点の合わない瞳がキストを見上げ、視線を下に下ろす。そこにはもう息をしていない我が子がいるだけで、むずがることも泣くこともしない。
 眦に涙がたまる。けれど涙を流してもユウリが助かるわけではなかった。だから、だからこそ最後の望みをかけて叫んだ。
「助けてっ!! 私の命を差し出してもいい。だからこの子を生かして!!!!」
 その瞬間大地が振動し、雨が弾け飛んだ。
 光の洪水が三人を襲い、三人は弾き飛ばされた。キストはティエイラを守るようにかばい、ティエイラはユウリを庇う。
 地面に叩きつけられた体は、骨が軋んだようで全身に痛みが走った。
 ゆっくりと顔を上げた二人の目の前にあったのは、無数の光の粒子だった。幾千もの光が当たり一面に広がり、空中を漂っている。そして静かに音もなくそれは形作っていく。
 はじめに、心臓に当たるであろう部分に光が集まりそこから徐々にうっすらと光が広がっていく。胴ができ顔、頭、足とそれは姿を現していった。その姿はまさにティエイラそのものであった。要望も死体もまるで同じでまるで双子であるようにさえ見える。それが形作られ、瞼が開かれる。その色はこの世に存在するすべての色のようであり、唯一つの色のようにさえ見えた。
 その瞳がゆらりと動き、ティえらとキストを一瞥した。その瞳に見えるのは侮蔑であり、血に飢えた獣の瞳でもあった。ようやく獲物にありつけたような。二人にどうしようもない恐怖が走った。それは全身を駆け巡り、地面に彼らを縛り付ける。
『はははっ、久方ぶりに人間の気配がするから来てみれば、面白いことを言う。もう息さえ止まった子供を助けろ、だと? たかが人間がよくもまあそんな言葉を口に登らせることができたものだな』
 おかしそうにけらけらと哂う人物を目の前にキストとティエイラは目を剥いた。
「これは、誰だ?」
 無意識のうちにキストの口から言葉が漏れた。誰だ、と疑うほどにティエイラに似た容貌。違うのはその瞳だけでその身に纏うは威圧。憎悪。嘲笑。これが神なのかと疑ってしまうほどにそれは慈悲など微塵も感じさせなかった。
『これ、か? よくもまあ、そんな口が利けたものだな。永きに渡りこの地を守ってやったにもかかわらず。それほどまでに傲慢になったか、人間めが』
 鼻で笑うそれは瞳を細め、ティエイラの腕に抱かれている死したユウリを見た。
『それを助けろ、というのか』
 不意にかけられた低い低い声。ティエイラとはまったく音質の違う声に、ティエイラは畏怖しそれ以上の期待を持ってこの子を助けてくださいと願った。

 けれども、その願いはその口唇から紡がれる声により瞬時に絶望へと成り果てた。

『それを助けてどうするというのだ? 人間とは生れ落ち死ぬものだろう。たかだか何ももちはしない赤子を助けたからといってどうなるというのだ。それによりこの地に歪みを生み、さらに深いひずみをこの血に縛り付けるきか? 世界、というものを知らないお前たちが人の生き死にに口を出すことではない』
 子を助けたいと思うのは親の心理。けれどそれゆえに侵してはならないものが世界には存在する。それを犯すということはそれ相応の罪を背負うということなのだ。それを人は、人間は何も知らない。それを知るのは神だけだ。
 そう神だけ、だからこそ人は神に頼る。
 それゆえに『悲劇』は起こったのだ。いくら忘れようとしても忘れられぬ記憶をその脳裏に焼きついている。その忌まわしい『悲劇』。それによりどれほどの血が、断末魔が大地に響き渡ったか。
「・・・・・・それでも」
 柔らかな声に激しさを交えた声を聞きそちらを見る。女が腕の中にあるものを強く抱きしめながら、視線を合わせた。
「それでもかまいませんっ!! この子が助かるのであれば」
 そういいきった女を見やり、だから嫌なのだと神は心の底から思った。
 人間とは愚かで傲慢で卑怯で無知だ。
 自分が選んだ選択がどのようなことを引き起こすかさえ考えてはいないのだろう。
『己の言っていることをわかっているのだろうな?』
 憎悪を怒りを侮蔑をすべての負の感情を込めた声で問うた。
『その命を救うためにこの地の人間を殺してもかまわぬ、と? 世界すら滅ぼしてもかまわぬ、とお前は今言ったのだ。その意味がわかるか?』
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