空白の世界

モクジ | ススム

  第一話 転校生  

 ジリリリリ・・・・
 うーん、といってベッドの中から出てきたのは白い腕。それは目覚まし時計を止め、ダラリとベッドから垂れ下がる。
 現在時刻、午前6時。
 いまだベッドの中から人は出てこない。時刻は刻々と過ぎてゆき、6時57分。
 ようやくベッドの中からのそのそと這い出てきた少女は、時計を見てたっぷりと10秒停止した。そして、時計を再度確認して悲鳴を上げた。
「ぎゃあぁぁぁぁぁ、遅刻するぅぅぅぅぅぅ!!!」
超速で跳ね起きた少女―河里彩音は猛烈な勢いで身支度を整え、昨日の残り物を弁当に詰め込んで家から飛び出した。
 時刻は7時31分。
 彼女が乗るバス時刻は、7時35分。バス停までの所要時間は徒歩8分。――完全に間に合わない。頭の中には自分に対する文句でいっぱいである。
「せっかく6時でセットしたのにぃぃ。あたしのばかぁぁ!!」
 そう言いながらも全速力以上の速さで走る彼女は、日本新記録を叩き出すかもしれないほどの勢いだ。
 そして、ようやくの思いで着いたバス停には、今まさに出発しようとするバスがいた。
「待ってぇぇ!!のーりーまーすー!!」
 人目も気にせずに叫ぶ少女がそこにいた。


 走り始めたバスを止め、ようやくの思いで乗り込んだバスはすでに満員だった。その人込みを掻き分けるようにしながら彩音はある人物に近づいた。
 ちなみに周りはいつものことなので気にする気配はまったくない。
 ある人物に近づくと目が合って笑われる。
「彩音、危機一髪」
 言ったのは彩音の親友の群木友里だ。短い黒髪に黒い瞳。唇は桃色に色づいており、まさに『可愛い』という言葉が似合う少女である、見た目は。彩音は汗をハンカチで拭い、走ってぼさぼさになった髪を手で梳いて、荒い息を整えながらくすくすと笑う親友を見やった。
「そ、そんなに笑う、ことないじゃん。寝坊しちゃったのよ」
「寝坊しちゃった、じゃなくて、また寝坊しちゃった、でしょ?」
 彩音はひくり、と頬を引くつかせた。これは絶対にからかっている。
「しょうがないじゃない・・・。ちゃんと目覚ましかけたけど、止めちゃったんだもん」
「はいはい。明日から頑張って。学校着いたよ」
 適当な返事に怒る気さえ失せてしまう。
「わかってますよっ!!」
 一方は頬を膨らませ、もう一方は笑い続けて、人込みに揉まれながら二人はバスを降りていった。

 中年の男性の担任がやる気なさげにホームルームをして、いつもと同じようにドアに足を向けるかと思ったが、今日は違った。いったん言葉を区切り、生徒たちを見る。常とは違う担任に生徒たちは訝しげに担任教師を見た。担任が口を開く。
「えー、では最後に転校生を紹介する」
 ドアに向かい、開ける。
 何か一言二言話した後、身を引いて相手を促す。
 一拍おいて、教室内が大きくざわめいた。ざわめく教室を静めたのは一つの靴音。そして、彼女は静まり返る教室の中に恐れもなく入ってきた。そしてクラスメイトを見て、笑う。それは妖艶に。雪のように儚く、輝く彼女を見て見とれないものはいないだろうと思わせるその存在感。彼女はここにいるすべての人が持っていない、圧倒的な存在感を放っていた。
「初めまして、藤宮雪輝です」
 その笑みに捕らえられたのは男子だけではなく、彼女のまたそのうちの一人だった。
 皆が見惚れる中、担任の男子教諭だけはめんどくさそうに黒板に彼女の名前を書いていく。ざわめきはそのチョークの音によって遮られたように消えうせ、あるのは不気味に響くチョークの音だけ。
「彩音。あの子綺麗だね」
「うん・・・・・・」
 ぼーっと藤宮雪輝を見つめる彩音は周りの男子となんら変わりはない。彩音は取り付かれたように転校生を見つめる。
 雪輝は金色の髪を緩く巻いており、腰の辺りまで伸ばしている。肌は名前のようにまるで雪の白さを思わせる。が、それは病的な白さではなく寧ろ強さを感じさせる白だ。
「ねぇ、綺麗な金髪だよね」
 後ろを振り向いて雪輝の髪を示す。が、返答は不思議さを含んでいた。
「何言ってるの? まさに日本人、て感じの黒い髪じゃない」
 ほら、と雪輝の髪の色を指差す。嘘、と小声で叫ぶ彩音は指差す方向を見る。するとそこには漆黒の髪があった。はて、と首を傾げた彼女は光があたって金色に見えたのかと一人結論を出す。
 ふと、机が翳ったと思ったら目の前には転校生が佇んでいた。
「初めまして、よろしくね。河里彩音、さん? に、群木友里さん?」
 名前を呼ばれたことに驚いて目を見開いていると、雪輝は助け舟を出すように、先生が教えてくれたの、といった。
「ふむ、じゃあ、彩音の隣だねっ! よろしく、雪輝さん!!」
「雪輝でいいよ」
「じゃあ、あたしも友里で。彩音も呼び捨てでいいよね」
「え、うん」
 ちらりと彩音は隣を見た。隣の席には誰もいない。けれど、どこか違和感があった。確かにそこには誰かがいたはずなのに、空席だけが周りの喧騒とは裏腹に静けさだけが漂っている。すでに雪輝の周りには人だかりができていた。彩音と友里に話しかけた後を狙っていた男子たちが主である。
「どうしたぼーっとして」
 ぽんと頭の上に置かれた手のひらは大きくさっきまでの違和感がスーッと消えていく。見上げればそこには見慣れた顔があった。
 橘翔、彩音の彼氏である。薄く茶色に染めた髪はさらさらで、瞳もまた色素が薄いのか茶色だ。
「すごいな。うちのクラスにも転校生が来たけど、それに負けず劣らずだな」
「し、翔! どうしたの!?」
 焦る彼女を見て翔は笑う。
「ああ、いやどうしてるかな、と」
「それより、そっちの転校生もすごいの!?」
 それよりって、と彩音が抗議するがそれは友里にあえなく一蹴される。
「だ・ま・る!!」
「はひ……」
 にこりと笑いながらも目は笑っておらず、彼女は凍りついた。その脇で翔は笑いながら問いに答えた。
「ああ。女子が周りに群がってるよ」
「男子なんだ。名前は?」
 その翔の言葉だけで男子だと理解した友里は、なおも話を続けようとする。彩音を無視して。
 そんな平然と話を続ける二人に唖然として彩音は一人いじけだす。
「松田明、だったかな?」
「ふぅん。で、翔もうすぐ授業始まるけど」
「げっ。そういうのはもっと早く言えよ!!」
 そういってあっという間に自分の教室に戻っていく。
「はあ。今日から学校か」
 二人は翔の背中を見つめながら同時に呟いて、ため息をついた。


 初老の男性教師がぼそぼそと何かを話しながら黒板に向かっていた。生徒たちは熱心にノートを取るものもいれば、不真面目に隣の人と話をしているものもいた。
 そして彼女たちもまた後者のうちの一人だった。
「雪輝って教科書とか買ってこなかったの?」
 そう小さな声で問うたのは友里で、体を前に乗り出している。雪輝と彩音は机を合わせながら授業を受けていた。
「買ったんだけどまだ教科書とか届いてないんだ。この制服もやっと昨日届いたの」
 古典教師を気にしながらも友里の問いに答える。
「へぇ。じゃあ当分こんな感じ?」
「うん。彩音には迷惑かけちゃうけど」
「あっ、別にいいよ。あたしは。気にしてないし」
 もくもくとノートをとる手を止めて彩音は言った。
 それにしてもさぁ、とどこか非難の響きを含めながら友里がぼやいた。
「森の授業って面白くないよね」
 二人は無表情に頷いた。


「彩音、帰ろー。雪輝は家どこ?」
 帰り支度をしていた雪輝は友里を見ながら手を顎に添えて考え出した。
「御原町……だったかな?」
「じゃあ、あたしたちと一緒だね。一緒に帰ろう」
 二人が離している間に黙々と帰り支度をしていた彩音は時計を見て、慌てて二人を急かした。
「二人とも時間!! 乗り遅れるよー!」
「あっ本当だ。いこっか」
「そうだね」
 彩音は呆然と二人を見ながら慌てて教室を出て行く彼女たちを追いかけた。話しながら手を動かす二人は器用であると彩音は頭にメモをして。


バスを降りて雪輝と友里に別れを告げると、彩音はアパートに帰っていった。部屋の中に入ると中は暗く、人気はない。まだ両親は仕事から帰っていないらしい。
「はぁ、疲れた・・・・・・」
 ベッドにばたんと倒れるように横になる。一度瞼を閉じて、起き上がる。制服を脱ぎ、私服に着替える。
 その時。雫が頬を伝って砕けた。ぽたぽたと伝っては砕ける雫。それを拭おうともせずに彼女は立ち尽くしていた。彼女がそれに気づいたとき、足元には水溜りができていた。
「あれっ!? 何で涙なんか・・・・・・。とまらない・・・・・・どうして?」
 何度も涙を拭ってもそれはとまってはくれない。
 彩音はわけもわからず崩れ折れて、座り込む。なぜ泣いているのかもわからずに。何に対して泣いているのかも知らなかった。
 ただ、ただ、悲しかった。辛かった。

 そのまま彼女は泣き続けた。


***


「さぁ、狩りの始まりだ。僕たちに失敗は許されない。失敗はしに繋がることを忘れないでくれたまえ。まぁ、死にたいなら別だが。では、周りに悟られずに必ずやってくれ」
「了解」
「了解」
「了解」


***
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