空白の世界

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  第二話 告白  

 それはある日の昼休み、突然やってきた。
「彩音って、いつから翔と付き合ってるの?」
ぐっ。げほっ、げほげほ。
 ご飯が喉に詰まった彼女ジュースを飲み込み、やっとのことで喉から流し込む。
「あー、ぐるしかったー。何―? いきなり」
 喉に詰まった彼女を目の前にしても平然と食べ続ける少女たちは顔を見合わせ、だからぁ、ととき始める。
「・・・・・・いつだっていいじゃん」
「あーやーねー? あたしたち聞いてるんだけど、教えないわけ?ふーん、そういうつもりなんだ。ひっっっっどいよね、雪輝」
 目を細めて隣に座る少女に同意を求める。うんうんと頷きながら箸を突いて、雪輝は弁当を食べる。
「あたしも気になる。いつから? 言わないと許さないからね?」
 ・・・・・・。
 この三人でよく一緒にいるようになってわかったことだが、雪輝の笑顔は心底恐ろしい。特にこういうときは拒絶を絶対に許さない何かがあると彩音は感じている。見かけの儚さに騙されていると、その裏の顔に喰われる。それは間違いなかった。
 しょうがなく彩音は観念したようにぼそぼそと呟いた。
「去年の夏くらいから・・・・・・」
 下を向いて赤くなる。
「へぇ、去年はクラス一緒だったもんね。どっちから告ったわけ?」
 ちらりと時計を見るとまだ時間は十分にあった。最悪である。逃げる術がない。
「……翔」
「なんか意外」
 雪輝が弁当箱を片付けながらポツリと呟いた。その言葉にカッと彩音は目を見開いた。
「なんでっ!?」
 今にも飛び掛りそうな彩音に雪輝はそっけなく言い放った。
「なんとなく」
 机に突っ伏す。友里もまたうんうんと頷きながら弁当箱を片付けている。ちなみにまだ彩音は食べ終わってはいない。
「本当、不思議」
 だからなぜ、と質問しても答えは、なんとなく、なのだろう。それが容易に想像できて悔しい。
 去年の夏。夏休みがあけて、はじめの学校があった日にそれは言われたのだ。


***

 翔とはもともと仲がよかったわけではない。席も遠かったし、話す話題も特になかった。
 ようやくクラスに馴染めるようになってきたときだった。席替えがいきなり行われたのは。
 担任の教員が突然前触れもなく席替えをすると言い出したのだ。やっとクラスに馴染めるようになったのにそれはないと思ったけれど、結果から見ればあの時担任が席替えをすると言い出さなければ翔と付き合うことも、友里を親友と呼ぶようにもならなかったのもしれない。
 あたしの新しい席は窓際の一番後ろの席だった。クラスが眺められていいかもと思っていたときだった。唐突に隣から声をかけられたのは。
「初めまして。俺、橘翔。よろしく、河里彩音さん」
 いきなりのことに呆然としながら返事をしたのは覚えている。その後にあたしの前に座った友里と会ったのだった。

***


「・・・・・・ね、彩音!!」
 雪輝の声で現実に引き戻された。へ?と雪輝を見やると焦った顔で彩音に言ってくる。
「授業始まってるよ!!」
 たっぷりと時間は3秒。
「えぇぇぇぇぇ、うっそぉぉぉ!?」
 よく見れば仁王立ちした教師が彩音を睨んでいる。
 その授業のはじめの10分はとある少女の説教に費やされたのはいうまでもない。こってりと、みっちりと彼女は反省させられた。


「何でもっと早く教えてくれなかったのよ!」
 ぶつぶつと文句を言いながら鞄に教科書類を詰めて、彩音はけらけらと笑う友里と雪輝を睨んだ。
「あはは、だって、あ、彩音、あは、はははっ!!」
 前言撤回。
 げらげらと笑う友里を睨みつける。それでもなお友里の笑いは止まらない。
 屈辱である。
 さすがに笑うのがだんだんと可哀相になったのか、雪輝が友里の通訳をかって出た。
「彩音ってば、ぼーっとして何度声かけても上の空だったんだよ。声はかけたんだからね」
 ぷち。
「どーっせ、授業が始まる1分前とかに声かけたんでしょーがっっっ!!」
「あははは・・・・・・はぁ。彩音もようやくわかってきたか。お母さんはうれしいよ」
 ようやく笑い終えた友里が今度は涙を拭きながら話してくる。それほどおかしかったらしい。
 ぶち。
「どのくらい友里と付き合ってきたと、思ってんのよぉぉお!!」
「えっ、まだ1年」
 けろりと言い返すその口が憎たらしい。
「1年で十分ーーー!!」
 絶叫するが如く叫ぶがそれは彼女にとってはまったく効果はないらしい。水の如く受け流されてしまう。
「えっ、今日で友達終わり!? そっか。しょうがないね、バイバイ、彩音」
 まるでさも悲しそうなふりをしながら友里は制服の袖で涙を拭う。
「行こうか雪輝。彩音とは今日でさよならだよ」
笑いを堪えながら雪輝が必死で頷いている。対して彩音はもう言い返すことがありません、と呆れ顔だ。
「もうやだ、こんな友達・・・・・・」
 哀愁さえ漂うぼそりと呟いた言葉に目ざとく気づいた友里が言葉を返す。
「ああ、やっぱり今日で友達は終わりか」
 泣き真似までする彼女についに彩音がキレ・・・・・・。
「ちょっ・・・・・・」
「はいはい。バスの時間ですねぇ」
 そういって雪輝が彩音の制服の襟を掴んでずるずると引きずっていく。友里はというと平然と後ろからついてくる。しかも、薄く笑いながら。それを見ながら心中で呻く。
(何なんだこの扱いの違いは・・・・・・)
 そう思いながらも素直に従う自分がいることには適当な言い訳をして知らん振りをする。
 バスの時間が迫っているので仕方ないのだ。
 結局彩音は友里にも雪輝にも敵わないのだ。


 バスに揺られながら窓の向こうの景色を見ていたとき、彩音はあることに気がついた。バスの中はがらりとしていて話をするにはぴったりだ。にやり、と笑う。
「ねえ、雪輝と友里はさあ」
 後ろを振り向いて二人に笑顔を振りまく。その笑顔に何かを感じたのだろう、二人は顔を顰めた。嫌そうに問う。
「何?」
「二人は好きな人とかいないわけ? あたしに聞いたんだから教えてくれるよね!? あたしたち友達だもんね!」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
にこにこ。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
にこにこ。
「・・・・・・いないよ」
 最初に折れたのは友里だった。呆れたようにいるわけないと繰り返す。ちらりと隣に視線を送るとこれはいうまで離してくれそうにないとアイコンタクトを行う。それに神妙にうなづいた雪輝は観念したように溜息を吐いて口を開いた。
「いるよ」
 一拍置いた後二人は目を見開いて叫んだ。
「「うそっ!!」」
「・・・・・・本当」
 驚かれたことに心外そうにしながら雪輝は二人を見た。
 そして乙女思考に導火線が着荷したのか矢継ぎ早に友里が質問を雪輝に浴びせかける。それはもう怒涛のように。
「うっそ、誰? ここの学校の生徒? あっもしかして、先生との禁断の恋!? それとも前の学校の人とかっ!? てゆーかなんでもっと早く教えてくれなかったわけ? あたしたち友達じゃん」
 浴びせられている質問に辟易しながら適当に答える雪輝は些か眉を顰めている。
 一方彩音はのんきにゆったりと雪輝の言葉を反芻していた。
『いるよ』
 顔が赤くなるでもなく、照れている様子もなくいった雪輝。もう付き合っていて倦怠期にでもはいってしまったのだろうか。悶々と考えている間にも友里は質問をし続けている。
「じゃあ、どんな人なのか教えてー」
 それを聞くまで絶対に返さない、といった友里の態度に雪輝がしぶしぶ答えた。
「優しくて冷たい人」
 その言葉に友里が眉を顰めた。
「なんか矛盾してるよ」
 困ったような顔を雪輝がした。
「でも、うん。素敵な人」
 そういって、柔らかく微笑んだ。それは友里と彩音が初めて見る雪輝の笑顔。それを引き出せるのはただその雪輝が好きな人だけなのだ。そう思うと少し悲しい。けれど、友里と彩音を見惚れさせるほどの笑顔。愛しくて愛しくてたまらないといったその微笑みは友達としてうれしく思う。雪輝は必要以上に人と付き合わないから。雪輝がこの学校に転校してきてからというもの、雪輝が他の女子(彩音と友里以外)とつるんだりしているところをついぞ見たことがなかった。だから心配だったのだ。何が、というわけではないがそれで大丈夫なのかと。けれどその笑顔をすることができる人がいるということはいいことだ。人は一人では生きてはいけないのだから。
 しばらくの間、会話が止んで静寂が漂っていた。そして雪輝がおもむろに質問をする。
「そういえば、今日って何日だっけ?」
「ん? 今日は、確か・・・・・・」
「あ、もうすぐ着くよー」
 友里がそういったため、彩音は思考をいったん中断する。よく見ればバス停が肉眼で見えるところまで来ていた。
「雪輝もあそこで降りるの?」
「うん」
 そっかー、と呟き今日は何日だっけなーと考え直す。思い出せない、だんだんぼけてきたのかな。とつらつらと一人考えていたとき、友里がすたっと立ち上がった。どうしたんだ、と訝しげに見上げれば、彼女が言ったのはそっけない一言。
「着いた」
 友里は席から離れすたすたと一人先に降りる。それにしたがって彩音と雪輝も降りた。
「じゃ、バイバイ」
 友里はそういってさっさと帰っていく。残された二人も顔を見合わせて、自分たちの家へと帰っていった。
「雪輝の質問流れちゃったけど、まっいいか」
 そうして彩音は家へと歩を進めた。


「ただいまー、って誰もいないか・・・・・・」
 靴を脱ぎ、ひんやりとした廊下の上を歩く。程よい冷たさが心地よく、リビングにあるソファに倒れこむ。制服に皺がつく、と脳裏で訴えているが体が思うように動いてくれなかった。いな、動かすのがひどく億劫だった。
 眠気が襲ってきて、瞼を閉じる。
 窓の向こうの景色は、夕日が落ちかけていた。


 ゆるゆると瞼を開ける。窓の向こう側は夜の帳が降りて満月が顔を出している。
 体中汗をかいていて、その汗を拭いながら彩音は一つ息をはいた。
「夢、か・・・・・・」
嫌な夢を見たようだ。まったく内容は覚えてないけれど。
むくりと起き上がってみれば、タオルケットがかけてある。たぶん、母親がかけてくれたのだろう。風邪を引かないように。
ふと頬に違和感を感じて手で撫でてみると、濡れている感触があった。鞄から鏡を取り出し見てみるとうっすらと涙のあとが垣間見えた。頭の隅で泣いていた、ということを認識する。それ以上は何も考えたくなくて、考えることすら拒否した。
けれど不意に翔の声が聞きたくなって、鞄の中を探り、携帯を取り出す。手早く番号を押して携帯を耳に押し当てた。着信音だけが耳に聞こえる。
早く出て。声を聞かせて。
何度目かのコールで翔が電話に出た。その瞬間に緊張がほどけてゆく。
『もしもし? 彩音? どうした、こんな時間に』
「なんでもないんだけど、ちょっと翔の声が聞きたくなって」
『そ、そう、か』
「翔、照れてる?」
『い、……まあ、照れてるかも? 彩音がそんな理由で電話するなんて今までならなかっただろ?』
「そう、かな? でもいっぱい翔に電話かけてる気がするけど」
 はあ、翔がため息をついたのが分かった。何か悪いことを言ったのだろうかと彩音は緊張する。
『彩音はさ、……いや、なんでもないや。というか、いつでもかけていいぞ。俺は』
「うん。ありがと」
『あー、別に変な意味で言ったわけじゃないんだ。ただ、彩音は彼女なんだから、もっと俺を頼ってもいいんだ』
 彼女、その言葉に頬が赤くなる。大事にされている。それを感じられる言葉。うれしくて、声が弾むのをやめられない。
「うん!」
 夢見が悪かったことなど跡形もなく消えてゆく。
 翔がいてくれてよかったと、彩音は強く思った。言葉には出さず翔に感謝する。きっと口に出せば翔は照れてしまうから。
 心が温かかった。
 二人は他愛無い会話を楽しむようにしばらくし続けた。
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