沈黙の願望

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  第二話 調査開始  

「はじめまして、我々が原因不明睡眠対策機関、通称:<夢狩り>です」
 にっこりと笑いながら所長が挨拶をするのに合わせて、メンバーたちも頭を下げた。徐に所長が胸ポケットから何かを取り出すとそれを依頼人に見せる。確認するかのように彼らは頷いた。
「はじめまして。私が褌屋篤季です。こちらは妻の朝子です」
 話したのはきっちりとしたスーツが似合いそうな男性だ。隣にいるのはやつれた一人の女性。二人を見て所長は軽く会釈をした。
「宏紀君のところに案内していただく前に確認を一つよろしいですか?」
 尋ねると夫妻は困惑気に所長の顔を見、はいと頷いた。
「さて、以前にも聞かれたかもしれないですが我々は今回初めて小学生という低年齢の夢人――宏紀君のように眠りにつく人のことを調査します。方法としては夢人の意識下に潜入し、眠りにつく要因となった問題を取り除き意識を覚醒させる。しかし今回宏紀君は低年齢児の上、身体的に衰弱しているように見受けられます。そのため宏紀君を無事に覚醒させることができるのかは保障できません。また現在以上に宏紀君の体力が低下した場合、調査員自身が宏紀君の意識に閉じ込められる場合も想定され、また宏紀君自身の精神が崩れる危険性も考えられるため、調査を中断する可能性もあります。それでも夫妻は調査を希望される、ということでよろしいですか?」
二人はびくりと体を震わる。朝子が篤季の手を握り、そのぬくもりに縋るように一度強く握り締めてから篤季は、よろしくお願いしますと頭を下げた。
「本日からよろしくお願いいたします。それではまず息子さんを確認したいので案内をしていただいてもよろしいですか?」
「はい。分かりました」
 神妙そうな顔をして男性がこちらです、と彼らを促した。その顔はどこか疲れきっているようにも見える。連れて行かれたのは二階にある、一つの部屋。ここに夢人――褌屋宏紀がいるらしい。
「ここです」
 かちゃりとドアを開けると、ベッドに乱れもなく寝ている一人の少年がいた。胸が上下しているため生きていると判断はできるが、そうでなければ生きていると思うことはできなかった。
「この子が褌屋宏紀君ですか」
「そうです」
「こちらに機材を運んでも?」
 確認をこめて質問をすると、すぐに肯定の意が示された。その声は少しばかり安心しているようにも感じられる。これで息子が目を覚ますと希望を抱いているのだろう。
「まずこちらの部屋に機材を運び込みます。それが終わり次第お話を聞きに行きますので、リビングでお待ちください」
「わかりました。……あ、の、」
 震えた声で男性は所長に向け、言葉を発する。
「息子を、よろしくお願いします」
「全力は尽くします」
 その言葉に深く深く頭を下げて、彼は部屋を出て行った。


「所長、準備が整いました」
「わかったよ。雪輝君、準備はいいかい?」
「はい」
 緊張した顔で頷くと、夢人である少年の隣に横になり目を閉じた。次いで、桐江が手際よく雪輝にコードを繋いでいく。すでに夢人には同様のコードが繋いであり、あとは雪輝に繋いで夢の中へと落ちるのみだった。
 すべてのコードが繋がったことを確認すると雪輝はゆっくりと目を閉じて、意識を落としていった。
「夢人の『夢』の中に入ったようです」
 機器を確認しながら桐江が静かな声を落とした。
「そうか。では、こちらも作業を始めるとしよう」
 所長が明とアヤに向き直り、指示を告げる。
「二人は夫妻から、この少年の仔細を詳しく聞いてきてくれたまえ。それでも足りぬようならば、聞き込みをするなりして欲しいが、明君?」
「わかっています」
 真面目な顔で明が一言告げると、所長は満足したように微笑んだ。
「ならいいんだ。アヤ君はわかっていないようだから、後で教えておいてくれ」
「はい」
「桐江君はいつもどおり、二人から眼を離さないように。異常があれば、すぐ報告を」
「はい」
「昨日言ったから分かっていると思うが、今回は夢人が小学生ということもある。各自気をつけて行動してくれたまえ」
「「「はい」」」

「じゃあアヤ行こうか」
 明がアヤに向かい、声をかける。
「ええ。私は何をすればいい?」
「そうだな。とりあえず、初めてだから見てて。何か分からないことがあれば聞いていいから」
「わかったわ」
「じゃあ所長、聞き取りに行ってきます」
「ああ、頼んだよ」
 背中を向けてひらひらと手を振り、彼は二人を見送った。それを視界におさめ、二人は部屋を出た。
 二人はリビングに行くと、二人掛けのソファに座る夫妻を見つけた。足音で気づいていたのか入ると、夫妻は顔を上げどうしたのかと問うてきた。
「少し、息子さんのことでお話を聞きたいのですが」
 明が話を切り出すと、ああ、と頷いて夫がお茶を出すように妻に言い、二人に向かいのソファに座るように促した。しばらくすると朝子が湯気のたったお茶を4つ持ってきてそれぞれにおいていく。4人が揃ったところで篤季が話を切り出す。
「私たちは何を話せばよろしいでしょうか?」
 さきほどよりもどこかぐったりとした彼はけれどしっかりと明を見据えていた。
「ではまず初めに旦那様と奥様のお名前、生年月日、経歴、家族構成、職業を教えていただいても?」
「……あの、それが宏紀のことと何か関係が?」
 眉を顰め、不思議そうに問いかける。
 妻である朝子がそこで湯気のたったお茶を運んできた。どうぞと小さく言って二人の前に置く。そして持ってきたお盆を床に置き、彼女もまた二人を見た。
 アヤは彼女の瞳を見て、嫌な気分になるのを自覚した。暗い瞳だ。息子が目覚めないから心配しているのかその瞳は暗く、淀んでいる。顔も青白い気がするし、少しばかりでも睡眠をとったほうがいいのではないかと場違いなことを考えた。
「私たち<夢狩り>については簡単にはご存知ですか?」
「あ、はい。確か昏睡状態になっている人たちを調査するものだと、伺っております」
「その通りですが、厳密に言わせていただければそれは違います。昏睡状態というものは外部からの刺激に反応しませんが、睡眠は外部からの刺激には反応し目を覚ますこともあります。我々<夢狩り>、原因不明睡眠対策機関、というように対象者は昏睡状態に陥っているわけではありません。眠っている状態なのです。眠っていればなんらかの外部からの影響があれば目覚めるかもしれませんが、彼らにはそれが見られない。我々が専門としているのは宏紀君のように目を覚まさない人を調査することにあります。そしてもう一度確認していただきたいのですが、我々が行うのは『調査』であり『治療』ではありません」
「じゃあ!!」
 息子が目を覚まさないという可能性を感じて、篤季が腰を浮かせて言い募ろうとするところを明は手で制して座らせる。
「請け負ったからには全力を尽くして宏紀君が目覚めるように努力します。しかし先ほど所長が言ったことも念頭に入れておいてください。さて、突然ですが、眠りについた者たちには共通点というものがあります。お二人はそれが何かわかりますか?」
 二人は顔を見合わせ、横に振った。
「彼らは一様に心に蟠(わだかま)りをかかえていたのです」
「蟠り、ですか?」
「大なり小なり誰かに言われた一言や行動が気に係り、それを心に残したままにしていたました。そしてある日突然、長い睡眠に陥ってしまい目を覚ますことがなくなってしまうのです。もちろん蟠りだけが原因だとは思ってはいないですが、要因の一つだと考えています。このことから考えると宏紀君も同じように蟠りが合ったものだと考えられます。それが何かをわれわれは探る必要があるのです。そのために、旦那様、奥様の背景から探り外堀を埋めていきます」
 どういうことだと不思議そうにしている夫妻に、明はさらに言葉を繋げる。
「子供はとても人の感情に敏感です。人の何気なくした行動や仕草、言葉に敏感に反応します。お二方が日常の中でなされた行動や言葉の中で宏紀君が眠りについた原因がないかをまずは判断していきます。ですから本の些細なことでもいいので、何でも言ってください」
 そういう明の顔は真剣そのもので夫妻は納得したように、各々の生年月日などを答えていった。事前に明に渡されていたファイルを見ながらアヤはこちらで調査した情報とあっているか確認し、足りない情報を書き込んでいく。同じように明もファイルを確認しながら夫妻を見つめていた。
「では宏紀君の生年月日、所属学校、趣味、特技を教えてください」
「――年7月19日生まれの12歳。知尻小学校の6年生です。サッカーをするのが好きな子でクラブでもエースとして活躍しています」
「そうですか。ではサッカーはフォワードを?」
「え、……ええ」
「家の中では宏紀君はどんなお子さんでしたか?」
「とても素直で良い子でした。元気で病気だってあまりしたことがなかったのに、突然……!!」
 その日のことを思い出したのか、手で顔を覆い、泣き始めた。泣き伏す妻をあやす夫を見つめ、明は質問を問いかけた。
「篤季さんは宏紀君をどのような子供だと感じていましたか?」
「私は単身赴任中だったのですが、電話をかけるといつも明るく元気な声で電話に出てくれました。きっと私たちに心配をかけないようにしていた、優しい子です。休日にサッカーをしようと約束しても私に仕事が入ってしまい、遊ぶことができないことがお恥ずかしい事ながら多々あったのですが、文句一つも言わずまた今度ね、といってくれる子なんです」
 言って意気消沈したようにうなだれる。
 そんな二人を真剣な顔で明は夫妻を見つめている。
「宏紀君が眠りについたのがいつか覚えていますか」
 涙を拭いながら、朝子が答える。
「二ヶ月前、七月の頭くらいです」
「最初に気づいたのは誰ですか?」
「私です。夫は単身赴任で家にいませんでしたので」
「どうしたときに気づかれましたか?」
「いつも通り息子を起こしにいったら起きなかったんです。最初は具合でも悪いのかと思っていたのですが、いつまでたっても起きないのを不自然に思って……」
「それで病院に?」
「はい。でも、お医者様にはただ眠っているだけだといわれてしまいまして……」
「そうでしょうね。確かに宏紀君はただ眠っているだけです。病気になっているわけではありませんが、病気といえば病気でしょう。目が覚めないのですからね。朝子さんは宏紀君が眠りについた原因をご存じないですか?」
「……いいえ」
「そうですか。では、篤季さんは?」
「いえ、私も」
 夫妻は同じように目を伏せる。
「学校生活やクラブでトラブルなどの話はありませんでしたか?」
 その問いかけに朝子がのろのろと顔を上げる。
「……いいえ。宏紀は学校が楽しいようでしたので……。クラブでも特にトラブルがあったとは聞いていません」
「他に宏紀君が夢中になっていることや苦手にしていることなどはありますか?」
「いえ、特に何も。中学受験も迫っているので勉強に忙しかったようです」
「そうですか。では宏紀君はどのような子と付き合っていたのですか?」
「同じクラブの子と仲がよかったようです。いつもその子と遊んでいたようですから」
「名前はわかりますか?」
「確か……、俊也君といったような気がします。」
 わかりました、といって明はお茶に手を伸ばしてお茶を飲んだ。
「おいしいお茶ですね」
「あ、あり、がとうございます」
 突然の言葉に驚いたように朝子が返した。その様子を眺めながら明は、お茶を啜っている。
「そんなに緊張なさらないでください。緊張するなという方がおかしいのかもしれないですが、緊張をほぐしていただかないと、私たちも緊張してしまうので」
 にこりと笑うように明が夫妻に話しかけると、緊張していた空気が少しばかり和らいだ。完全に緊張がほぐれたわけではないが、確かに夫妻の顔は先ほどまでよりもリラックスした表情になっている。
 それから1時間程宏紀君について話し合い、ふとした瞬間に会話が途絶えた。
「……」
 暫くの間、沈黙がリビングの中を包んだ。会話が途切れないようにうまくコントロールをする明がこのときは何もせず、黙ってお茶をすすっている。何をしようとしているのか、アヤには分からなかった。話が中断し、室内には重い沈黙が漂っている。口を開くことさえできないような重い沈黙。まるで何かの重圧がかかっているようだ。
 その沈黙にたまりかねたように、朝子が口を開いた。
「っ、あのっ!」
「はい」
「あの、宏紀はいつ目が覚めるんですかっ!?」
「まだ、わかりません」
「あの子は目覚めるんですよね!?」
「眠りについた原因が分からなければ、目覚めることはないでしょう」
 その言葉に朝子の震えが止まり、彼女は明を睨みつけた。
「あ、あなたたちは宏紀を助けるためにきたんでしょう!!? だったらちゃんと助けてください。あの子は私たちにとって大切な子なんですよ!!? 優しくて勉強もできてスポーツだってできる子なんです!」
「あ、朝子っ。朝子、落ち着いて。彼らだってそのために来てくれたんだから」
 篤季に手を握られて朝子は熱くなっていたことを自覚し、落ち着こうと篤季の手を握り返した。けれど、それでもと彼女は続けた。
「お願いします。宏紀を助けてください」
 そういって深く頭を下げる。
 アヤはそんな朝子を見、隣に座る明を見た。アヤはぎくりと体を強張らせた。
 明の瞳は凍てついた目をしており、冷徹に頭を下げる朝子を見下ろしている。その瞳は一瞬にして消えたけれど、その目はアヤの心に深く刻まれた。
「全力を尽くします。お二人ともお疲れでしょうから、今日のところはここまでにしておきましょう」
「はい。すみませんでした」
「いえ」
 明が立ち上がり、ありがとうございました、と頭を一つ下げ、その場を後にした。
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