沈黙の願望

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  第三話 刹那の震え  

「所長、でかけてきます」
 部屋に入るなり言い切った明に、彼は振り向きもせず、いいよと言った。
「アヤ、調査に行くぞ」
「どこへ?」
 眉を顰め、尋ねるアヤに明はにやりと笑んで告げる。
「宏紀君の通っている学校。待ち伏せして、彼の友達を捕まえる」
 一瞬アヤは目を丸くして、できるの、と問いかけた。対する明の答えは簡潔だ。できるよ、と一言アヤを見ながら微笑む。
「というかできるできないの問題じゃない。やるかやらないかの問題さ。大丈夫だよ。さっき宏紀君と彼の友達が一緒に写っている写真も見せてもらったしね」
 確かに先ほど両親への問答で夢人と友人が写っている写真を見せてもらったし、名前も教えてもらった。だが、そう簡単にいくのだろうか。訝しげに明を見ていれば、明は肩を竦ませて視線をそらした。
「行きたくなければいいよ。来なくても。まあ、俺一人でも十分だとは思うし」
 表情も口調もいつもどおりのはずなのに、どこか冷たい響きに聞こえたのはアヤの気のせいなのか。
「やらないとは言ってないわ」
 決然と告げると、眉を持ち上げ了解を示した。
「話が決まったのなら、両親への調書がどうだったのか聞いてもいいかな?」
 そこでようやく所長が明の方を向いた。泰然と構え腕と足は組んでいる。
「夫のほうは本当に宏紀君が眠りについたことについて原因を知らないようですが、妻のほうは違うでしょう。多少なりとも原因について思い当たる節があるようです。とりあえず、警戒されるとやりにくいので当分は外堀から攻めていこうかと」
 相対する明も所長同様堂々としたものだ。数時間の中で行われた会話を分析し、まとめて所長に伝えている。その上で、これからどう動いていくのかを提言しているのだからたいしたものだと思わずにはいられない。
「そうかい。あまり時間はかけられないから、頼んだよ」
「はい」
「では、その資料をくれたまえ」
 所長はアヤのもっている資料を指し示して、手を差し出した。アヤは所長に近寄り持っていた資料を手渡す。
「これはアヤ君が書いてくれたのかい?」
 ぺらぺらと数枚の紙をめくり、問いかける。
「はい」
「そうか」
「何か?」
「いや、ずいぶんと字がきれいだなと思ってね」
「所長ー、それって俺の字が汚いってこと?」
 一転、空気が変わった。先ほどまでの張り詰めた空気は消え去り、和やかな空気が部屋を支配する。
「そうではないけれど、アヤ君の字に比べれば、ということだよ」
 そうですか、と明が呟いてやさぐれたように座り込んだ。
「どうだったかい? 初めての仕事は」
「そうですね、まだなんとも」
 先ほどのことを思い浮かべながら答える。両親への調書を手伝ったといっても、ただ明が質問したことに対する両親の受け答えを書き取っていただけだ。さほどのこともしていない、という自覚がアヤにはあった。
「はは、まあそうだろうね。これからだよ。それにしてもよく書き取れているよ。要点をきちんとまとめてある」
「ありがとうございます」
 感情の篭らない言葉ではあったが、所長は全く気にならなかったらしい。そうそうにアヤとのやり取りを終える。
「さて、桐江君。雪輝君の様子はどうだね?」
 くるりと椅子を回して、静かに機械に向かっている桐江に声をかけた。
「特に異常はありません。順調に進んでいると思います」
「そうか。じゃあ、これを雪輝君に送ってくれるかい?」
 差し出された資料を受け取り、頷く。
「わかりました」
「よしっっ!! 行くぞ、アヤ」
 先ほどまでやさぐれていた明は、元気になったのか一気に立ち上がって、上着を取り一人ででていこうとする。それをアヤは呆れたように見ながら、その後ろについていった。

「所長」
「なんだい?」
 先ほど受け取った資料を一旦机の上に置いて、桐江は所長を見る。足音が遠ざかっていくのを感じながら、彼女はずっと気になっていたことを聞いた。
「今回はなぜ藤宮さんにしたのですか?」
 静かにけれど意志をもって彼女は問う。手は足の上で添えるように置いてあり、その姿は大和撫子然である。
「どうして雪輝君にしたのか、か」
 そういって所長はちらりと夢の中へと潜り込んでいる雪輝を一瞥した。死んだように動かず、けれど呼吸はしておりただ寝ているだけの雪輝。
「まあ、早く一人前になってほしかった、というのが一番かな」
 その言葉に桐江は眉を顰めた。
「しかし今回の場合、松田君の方がよかったのではありませんか?」
 所長が桐江をみる。その顔は常と変わらず、微笑んだままだ。
「この夢人は藤宮さんには重すぎます」
 そこでふっと所長が笑った。そして立ち上がり、雪輝の傍に寄ると、隣に腰掛けその髪を掬った。彼女の金色の髪は所長の手から逃れるように、はらはらと落ちていく。その様を見て、所長は口を開いた。
「確かに雪輝君には重いだろうね」
 当り前のように告げられた言葉に、桐江は一瞬言葉を失い慌てて声を上げる。
「ならっ!」
 声をあげた桐江を手で制し、所長は話し続ける。
「でもね、今回は明君では力が足りない。自身を変える力がないからね。それに比べて雪輝君は力がある。どちらをとるかは一目瞭然だろう?」
「ですが、」
「それに彼は子供だ。だから雪輝君にしたのだよ。明君が原因を突き止めることができたのなら、雪輝君はきっとやり遂げてくれるさ」
 桐江は沈黙し、長く息をはいてそうですね、と漏らした。
「確かに藤宮さんの方が子供を相手にするのであれば、いいかもしれませんね。あの子は面倒見がいいですから」
「わかってるじゃないか」
 目を見開いて桐江が所長を見る。
「……」
「言葉につまらなくてもいいよ。君だって<夢狩り>のメンバーなのだから、そのくらい分かって当然だろう?」
「そ、そうですね」
 顔を引き攣らせながら、ぎしぎしと音を立てるように桐江は体を機器の前に戻した。突きつけられたくなかったことをまるで突きつけられたようだ。
 桐江の様子を横目で見ながらくすりと所長は笑った。彼女はいつまでたっても変わらない。これからもかわることはないだろう。それがひどくおかしい。
 彼は雪輝の髪を梳くと立ち上がって、部屋をでていった。

 一人部屋に残された桐江は、雪輝を一瞥すると頭を振って再び機器に向かい、その画面を睨み続けた。
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