空白の世界

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  第六話 すべては偽りの  

「ねえ、雪輝待ってよ。友里が翔を好きだなんて、冗談はやめて。それに今はそんなことより、友里をどこにやったの?」
「友里にはその内会えるわよ。あんたが、すべてを認めさえすればね。それより、何で冗談だなんて思うの?」
「だって……」
「だって?」
 鸚鵡返しに問う雪輝が恐ろしい。
「だってそうじゃない。友里が翔を好きだなんて」
 そんなことあるはずない、そう言おうとして彩音は口を閉ざした。本当にそうだった?
「まだ忘れている気なの? いいかげんにしなさいよ。いつまで夢の中にいれば気がすむわけ?」
「夢? なんのこと?」
 彩音は雪輝が何を言っているのかわからず首を傾げた。
「まだとぼけるつもりなのね。いいわ、教えてあげる」
 そう、雪輝が笑った。その笑みは暗く、底知れぬ何かがあった。
「ねぇ、彩音は両親の顔を覚えてる?」
「な、なに言ってるの。知ってるに決まってるじゃない」
「本当にそう思ってる? じゃあ言ってみて」
 そういって冷めた瞳で彩音を見据える。
「え、えと、お母さんは、え、……」
「……」
「お父さんは、……思い出せない?」
「じゃあ次の質問。両親の名前は? 年は?」
 続々と出される質問に答えようとして彩音は言葉に詰まった。両親がいるということはわかっているのに顔や名前、どんな声だったのか、どんな仕草をする人だったのかがまったくわからなかった。必死に記憶をさかのぼりその顔を思い出そうとするが、思い出そうとすればするほどその顔はぼやけ、わからなくなっていく。もどかしいほどの焦燥が次第に消え、体中に震えが走る。
 どうして、どうして、どうして!!
 確かに今まで傍らにいた存在が自分の中から不自然に霞んでいく。大切な思いでも確かにあった温もりもすべてが思い出せない。
 言葉に詰まっていると雪輝が暗く笑った。その笑みは嘲笑を含み、鮮明に彩音の記憶に刻まれた。
「ほら、何も思い出せない。両親の顔も名前も思いでも何もないでしょう? ふ、あるはずがないわ。あなたが消し去ったんだから」
 そんなことあるはずない、と叫ぼうとして心のうちでじゃあ何で思い出せないの? と囁いた。答えを出そうとして言葉が出ないことに気づく。
「……だったらどうして私が両親のことを忘れたというのっ!?」
「そのくらい自分で気づきなさいよ」
 そう冷たい言葉を吐くと雪輝はそのまま消えていった。
 一人取り残された彩音はこれからどうすればいいのか分からず途方に暮れていた。雪輝はどこに行ったのだろうと考え、それを頭の中から追い出した。学校、と小さく呟きその方角を向くが動く気がしない。このままサボろうかと考える。

 きっと誰も気に留めない。

 ふとそんな気がした。そんなことあるはずないのに。きっと先生だって気にするはずだし、翔だって彩音がいないとなれば心配するだろう。
 そう思うと無性に翔に会いたかった。ふらふらとした足取りで彩音は学校へと向かっていった。

 学校へとつくとまだ授業は始まっていないらしく、廊下や教室でおしゃべりに興じる生徒が多々いた。そんな中人を掻き分けるように彩音は翔を探す。翔の教室に行っても彼はいず、彼がいそうな場所にいってみるが彼の姿はまったく見当たらなかった。どこにいるんだろうとぼんやりしていると階段が目に付いた。階段をなぞるように見上げ、屋上の存在を思い出す。もしかしたら、という思いで彩音は階段を登った。その先に何があるかを知る由もなく。
 屋上に繋がる扉を開ける。太陽が彩音を包み込み、一瞬世界は真っ白となった。次第に視界がはっきりしてくると、視線の先に影が見えた。じっと見ているとそれが探していた存在と気づく。ほっとして近寄ろうとしたが、影が一つではなかったことに足を止めた。
 影は一つから二つへと変化し、そしてそれは彩音がよく見知った影だった。どくん、と鼓動がなる。何かが胸を掠める。
 二人は手を繋ぎ、向かい合って微笑んでいる。無意識に彩音は手を握り締めた。
 ゆっくりと二人に向かって歩いていく。
 近づくと友里の顔が見えた。とろけるほどの笑顔。愛しそうに翔を見つめている。その笑顔が彩音の顔を見ると一瞬にして変化した。
 彩音は頭の片隅でどうして友里がここにいるのか考えていた。友里は消えたのではなかったのか。あれは幻だったのか。
そしてふいに納得した。あの日だと。
「あ、彩音。ち、ちがっう、よ。あ、翔とは、ただ話してた、だけ、だから」
 繋いでいた手を勢いよく離し、友里はしどろもどろになりながら彩音に話す。翔も彩音の存在に気づき、友里と一緒になって彩音に何かを話しかけていた。彩音の記憶はそこでふつりと途切れた。

次に目が覚めたとき彩音がいたのは、自宅だった。どうやってここについたのかは分からないが。いつもの見慣れた様相に瞬きそして思い出した。気を失う前のことを。
(雪輝が言っていたように友里は、翔を好きだった? もしかして翔も友里を好きだった? 二人はあたしを騙してたの? 嘘、嘘だよ。そんなわけない。だって翔は言ってくれたじゃない、辛いときはそばにいてくれるって。その言葉が嘘だなんて思わない。そうだ、そんなことあるはずない)
「翔を信じなきゃ」
 そう言葉に出して、彩音は布団を頭まで被り、目を閉じて眠りについた。


「いい加減目が覚めた?」
 ふと瞼を開ければそこには雪輝が、怒りを迸らせながら彩音を睨んでいた。
「え?」
 今の状況すら受け入れられず、彩音は呆然と雪輝を見る。
「現実を受け入れたかって聞いてるの」
 その言葉に雪輝が何を言ってるのか、理解した。友里のことだ。
「現実って、何を言ってるのよ。あたしがいて翔がいて、友里がいて、雪輝がいる。それだけじゃない」
「ほっんと、ムカつくわ。まだ夢の中に篭る気。なんなのっ!? どうして受け入れないのよっ!! 夢の世界にいても何も変わらないのよ。変えることができるのは現実の世界だけでなの!!」
 そこでぼそり、と雪輝が何かを呟いた。いい終えると雪輝はゆったりとした足取りでけれどどこか威圧感を持って彩音に近づく。雪輝が近づいた次の瞬間、彩音は何が起こったのか理解できなかった。
「いいかげんにしなさいよっ!! 甘ったれてんじゃないわよ。気づけよ、ここがお前の作り出した夢だと。夢の世界にいれば安心だと、裏切られないと思っているのだとしたら大違いだっ!!」
 彩音の首を絞めながら、鬼のような形相で憎悪をこめた口調で雪輝は彩音にはき捨てた。女とは思えぬ力で彩音の首を絞める雪輝は、どこか必死の表情だった。
(どうして、雪輝はこんなに怒ってるのかな?)
 彩音はそんなことを思いながら目を閉じた。
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