空白の世界

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  第七話 それは叫び、あるいは嘆き  

 ゆらゆらと波に揺蕩うようにそこは穏やかだった。騒がしい音さえ何一つ届かない空間で流されるままにそこにいた。気まぐれに辺りを見回せば、様々な映像が周りを囲み雑音さえ聞こえてくるようになる。
『どちらかを選びなさい。好きなほうと一緒にいればいい』
『はあ』
『ねえ、どうして!!』
『ごめん、でも』
『どうしてあんたがいて、……がいないのっ!! 返してよっ!!』
『あんた、どうするの?』
『ごめん、好きなんだ』
『好きなの。わかってても好きだった。諦めるなんてできなかった。だから、許して』
 映像が絶え間なく流れ、けれどすべてを見る前に次々と変わっていってしまう。流れてくる声は映像とはかみ合わなくとも胸のうちに残る。それが嫌で再び瞳を閉じるのだが、どうして周りが気になってしょうがない。再度瞳を開けてまた後悔する。その、繰り返しだ。
 ああどうして、と呻いて今度こそ目を閉ざした。

 雪輝は掌を見つめ、眉を顰めた。今まで首を絞めていた彩音の姿はない。突如として消えた彩音に驚きもせず、雪輝は空を見上げた。そこに青空はない。あるのは淀んだ空だ。
「うまくいったのか?」
 後ろから問いかける声にため息をつき振り向く。
「知らない。消えた」
「おい……。まずいんじゃないのか? ああ、でもだから狂ってるのか」
 そういってちらりと目をやった先にはどこかぽっかりと穴が開いたように真っ暗な空間があった。次第に一帯は飲み込まれていくだろう。この闇に。
「でも、これだけじゃだめだろうな。消えたってことはますます閉じこもったってことだ」
「そうね」
「どうするんだ? これ以上俺たちもいれないぞ。けどこれを終わらせない限り、帰れない」
「はあ。あたしさ、むかついてんのよね。だってさ、たかだか離婚でしょ? それに彼氏を友達に取られたからって閉じこもる必要がわからないわ」
「ショックだったんだろ、裏切られたって思ったんじゃないのか」
「馬鹿臭い。……あいつが唯一のよりどころだったのなら、あそこにいるはずだからいくわよ。ほんと、めんどくさいわ」
 そういってしっかりと前を向いて歩き出した雪輝に彼、松田明は薄く笑い後ろをついていった。

 二人は雪輝が彩音に事実を告げた場所に立っていた。そこは翔が彩音に告白した場所でもある。そして……。
「いそうか?」
 辺りを見回すように明が雪輝に尋ねる。
「わからない。でも、いるはずよ。ここが始まりだもの」
 そうだな、と口の中で呟き明は頭の中に詰め込んである膨大な量の中からその情報を取り出した。
 ここの公園は、橘翔が河里彩音に告白した場所であり、橘翔と群木友里が付き合っていることを河里彩音に告白した場所でもある。まさにここは始まりの場所だ。彩音が裏切られた場所のひとつなのだから。そして最も重要な場所でもある。
 雪輝は息を吸い込んで声を張り上げた。
「河里彩音!! 話がある、出て来い!!」
 声は公園内に響く。けれど、それだけだった。
「いつまでうじうじしてるつもりなのっ!? いい加減現実を見なさい!! ここに閉じこもってたって何も変わらない、変えられるはずなんかないじゃない。どうして分からないのよ。あんたは何がしたいの!? 彩音!! あんたは何もしてないんだよ。ただ黙ってここに閉じこもって、偽りを夢見てるだけ。自分で何か得ようと行動したわけじゃなかった」
 激昂する雪輝。けれど微かに風がそよぐのみ。雪輝の苛立ちは募った。
「『裏切られた。裏切られた。裏切られた』あんたはそれだけしか言えないの? それより、あんたは何かをしたの?」
 雪輝の言葉を継いで明が静かに言った。
「世界一自分が可哀相。そう思っているなら思いを改めたほうがいい。お前より不幸な人はこの世界、五万といる」
 静かにけれど痛烈に明は彩音に言葉を突きつける。
「あの時、ここで二人から話を聞いたときお前は逃げたんだ。その現実に目を向けることを諦めて、逃げることを選んだんだ」
 風がざわめいた。
――……し…。ど……して。どう、してっ!!
 一陣の風が二人の髪を攫うように吹いた。
――聞きたくない。何も聞きたくない!!
 それは叫びだった。その叫びに呼応するように風が荒れ狂う。
――あ、たしの居場所は、ここにしかないのおおおおおお!!!
 彩音の声が公園中に響き渡った。信じていたものに裏切られた悲痛な叫びだった。
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